HOME 政治・経済 医療・健康 21世紀原論 著書
ホモ・ステータセンス

われ勝ち、かつ
敗れたり

第42回総選挙の報告

栗本が語る政治の世界

青木雄二氏の漫画によるポスター その1

結果

   2000年6月25日投票の第42回総選挙において、私は東京12区及び東京比例区から(重複)立候補した。そして結果は、4人の候補中第4位と敗退した。20,902票を得たが、得票率9.44パーセントは小選挙区供託金300万円の没収をまぬかれ、比例区での当選権を得る10パーセントに到達せず、比例でも所属届け出政党「政党・自由連合」が全都で得票率1パーセントに満たぬ敗北であった。ちなみに、比例区では重複立候補者の場合、小選挙区で得票率が10パーセント以上であることが必要な上、全都の得票率5パーセント弱に一人の割合で当選者が出ることになっている。これに私はわずかに及ばず、かつ自由連合は全く及ばなかった。

   これは、勝敗を度外視した新人立候補者またはいわゆる(趣味で立候補する)泡沫候補でない限り、通常は「惨敗」と位置付けられるものである。このことは、後述の物理的条件の回顧において具体的に分析する。
 先ずとりあえず、得票を示しておこう。

  1. 八代英太(自民党公認、公明党、保守党推薦)           
  2. 藤田幸久(民主党公認)                                   
  3. 山岸光夫(日本共産党公認)                                   
  4. 栗本慎一郎(政党・自由連合公認、電脳突破党推薦) 

90,208票
64,913票
45,482票
20,902票

全国の落選運動の標的になっていたはずの八代は、全都における自民党敗勢の中でも安定した戦いだったと言われ、事実、2位に対する差では東京の当選自民党候補中2位(1位は隣の板橋)の高位であった。私が、衆議院の選挙区で過去二度当選した候補(八代はここまで一回)であることを考えると、まことに不十分な結果だと言えるだろう。

意義

赤羽駅前での演説風景   しかし、選挙において、そういう実績を持つ政治家が、選挙区を変えるという不利、脳梗塞に倒れてまだ7ヶ月という身体的不利を持ちながら、そして通常の実績がある政治家である以上、当然、その不利の存在を知りながら、あえて盗聴法反対を政策的訴えの軸に据えて戦うということを選択したわけだが、「そこまで?」という関心と注目を選挙区内だけでなく、全国において引き出すことが出来た。関心というのは、勿論、疑問を含めてだが、疑問のほとんどが積極的な関心に変わっていったといえる。これは大きな意義であろう。

   結果が上のように出たわけだが、自民及び公明の陣営は決して安心できた戦いではなく、特に自民における危機感はあったことが確認されている。八代に投票した自民支持者においても、当選させた候補の国会での活動や法案に対する活動に対する新たな関心が喚起されていた。盗聴法案に対して反対だった民主、共産の支持者(どころか運動員)まで、一応も二応もこの法案とか、政党の基本姿勢とかについて考えた(証拠が山とあるが、これについては私たちの今後の政治方針にも関わるので、そうとだけ言っておく。私が引退するなら、そこにいつかは言及したい)。よって、この選挙区の投票者は投票行動を結果的に変えなかった場合も含めて、普段より意識の高い投票行動を行なったと思われる。

   私の三度の選挙をすべて中心的運動員として戦ってくれた慶大の若手研究者(人類学)は、今回の選挙での街での私への反応は、全国的にブームの渦のひとつを作ったと言われた一回目(第40回総選挙、世田谷、目黒)に近く、これも一応注目選挙区の一つだった自民党公認の二回目(品川、太田)よりもはるかに良いと分析した。ここでの2万票というものは、少し選挙の中身を見たプロなら高く評価するものと思う。私は、非常に高く評価している。

   あきらかに、結果的に他候補に投票しながら私の街頭演説に足を止めたり、手を振ったり、声をかけてくれた有権者がいたという実感がある。一度は、ある野党候補の事務所運動員が総出で道に出てきて我が宣車に手を振った。冷やかしには見えなかった。よってこちらも本気で手を振った。きわめて不思議な体験であった。上がらなかった手がしっかり上がって…こんなことは、全国のどこでも起きていない。おかげで、手を有権者に振るサイドである左側は、私の麻痺側だったのに、麻痺が次第に改善してしまった――12区の皆さん有難う。言うまでもなく、こうした「応援」は、私の票には結びついていない。これを「切り崩し」にまで結びつける手段は一般的にないわけではない。だが、それが物理的(金銭経費的、人員的)に出来なかった実情がある。それは残念ながら最初から分かっていたことだ。よって狙いもしなかった。だからこそ、その「好意」が最後まで、民主党支持者の一部(終盤、当方の運動の浸透に危機感を抱いていた)を除いて、維持された面もある。自民党支持者から共産党支持者まで、数字に出ないがもし2位票があったら私がトップであろうという実感があった。違う話しなのだが、私が、主張してきた中選挙区複数投票制(定員複数で、有権者は2票ないし3票を持つ)であったら、この物量不足の中でも一気に当選圏に上がったかもしれないくらいの感じだ。この実感が、開票当日、厳しい推移を見守りつつ、心中も比較的平静でいられた原因であった。

   このことは、もしもミニ集会などで後援会の核を造り、地域に腰を据えて「次」を狙うと、真面目に超有力候補になる可能性を感じさせる。しかし、後述のように東京12区は大変難しい地域性であるから一概に簡単なことは言えない。

   今回の選挙では、旧来的に言えば、公示日直前に出馬を最終決定しているが、インターネット上ではまだ病床にあった昨年12月から、直接出馬を含む「参戦」を表明している。勿論、ロシアの大統領選でそうであったように、ネット上の運動を中心とする落選運動を担うという選択もあったろうが、ネット上の落選運動を補助として旧来の具体的選挙運動も組み合わせるという「積極的選択」をしたわけだ。意味的に考えると、積極的であった部分があるだけ落選運動やインターネットと政治についての現状の力や課題を検証する結果となった。つまり、貴重な政治とインターネットの現在についての経験を作り出したといえるだろう。この具体的検討は、次の物理的条件の回顧でなされるが、現状の選挙の実態においては必ずしも有効な票的プラスがあったと思えないのが事実だが、それでも、貴重な経験を得た。世界のどこの落選運動も、どこかの段階でわれわれのように具体的選挙戦線参加が視野に入ることになるのだろうし、インターネットがそれを通じての投票有効ということにやがてなることも含めて、政治に大きな役割を果たすことになるのも先ず間違いない。それらの将来に対してわれわれの経験は大きなアドバイスを送れるものとなっただろう。

選挙の物理的諸条件の分析

   上に述べた意義とは別に、「現実の選挙においての有効性」つまり、現在の有権者の投票行動への有効性とのかかわりはどうであったかを考えておきたい。

   先ず、電脳的政治運動の可能性と結果についてである。

   昨年、11月から盗聴法現実阻止の運動と連動しつつ、電脳突破党が始動した。昨年夏の、いわゆる盗聴法国会での院外反対運動のリーダーであった作家宮崎学氏を「総裁」として、盗聴法実質阻止を目的とした時限的、目的限定的な「政党」である。宮崎氏は、既にインターネットと社会的運動や発言とを積極的に結びつける日本でも先駆的な試みとしての「電脳キツメ目組及びそのWebサイト」をもリードされてきた。その遊び心を含む先駆性は、非常に高く評価されねばならない。私はそのすべてに賛成であり、病床から電脳突破党に参加を表明した。
 この電脳突破党は、自治省が「政党要件を満たした政党」と認める政党ではないから、冒頭に述べた「現実の選挙においての有効性」という点からは、応援団ということになる。そして、この点から生み出されたメリットは、きわめて質の高い運動員、応援者が全都,全国から集まったということであった。この人数その他について今はまだ明確にすることは出来ない。

   だが、これを具体的投票行動に結びつけるという意味での有効化にはまだ技術的に大きな問題があった。それを私は十分に生かすことは出来なかっただろう。たとえば、公職選挙法は「運動員」というのは全く旧来の運動員だけを想定している。それ以外の利用は「違法」である。この要因の管理に私の事務所の秘書において不慣れと非効率が発生したのもやむをえない。よってこの両者間の連絡は最終的には、候補者である私自身が管理コントロールせねばならず、ミスも発生した。

青木雄二氏の漫画によるポスター その2    具体的一例は、こうである。選挙に関するデザイン、画像等については、青木雄二氏のポスターを実際にも届け出、使用したように、デザイナー、レイアウターが山といる電脳突破党関係のブレインを有効に活用させてもらったが、肝心なものの一つ、選挙公報を私自身がパソコンから打ち出した「字のみ」のものにしてしまった。これも、私の秘書と「応援団としての」突破党関係との連携が私自身を抜きにしてはうまく連動しないことの失敗であった。その肝心なとき、私は自由連合の候補者をそろえる作業に没頭してしまっていたのだった。選挙公報は、さらに印刷屋が私自身のプリントアウトからのサイズ変更でなく、いったん打ち直したらしく、重大なミスプリがあった。担当秘書はまた、ちょうど、実母の急死にあい、校正をパスしてしまった。これらは、票獲得にとっても大きなマイナスであり、反省点だった。こういうことは、普通、財政的に余裕があり、十分な秘書の数をそろえていれば起きることではないから、最初から分かっていたことだと言えなくもない。要するに物量の不足である。この物量の不足は、昨年、私が病に倒れ、普通の政治家として必要な資金パーティーを開けなかったことから、はなから分かっていたことと言えなくもない。

   昨年11月末に立ち上げて以来、既にアクセス15万を越えるWebサイトは、選挙期間中、更新停止にせざるを得なかった。これは、現在の公選法の欠陥のせいである。だが、それにしても、選挙区内からのメールも少なく、街頭の反響の大きさと逆であった。まだ、インターネットによる政治的主張や支持の浸透は全く不十分であると言わざるを得ない。もし公選法がなくとも、インターネットを使った浸透はなかなか難しかっただろう。

   だからこういうことになる。政治に関して言えば、電脳時代はまだ夜明けになっていない。残念ながら電脳突破党の熱心な支援も、旧来の票獲得運動については側面からの支援ということにならざるを得ない。つまり、まだ選挙期間中、デスクトップPCを放り出して、宣車に乗るうぐいす嬢をやるのかやらないのかという(電脳から見たら)馬鹿な問いが発せられかねない状況なのだ、まだ。

   言うまでもなく、私は、そのような問いは発する気はなかった。しかし、現実の支持が浸透して旧来型の支持者が増えると、そういう問題はもっと大きくなっただろう。この後者によれば、要するに金で雇ってでも、当てになる人数、当てになる日数、当てになる運転手を揃えろということになる。今回、前回の選挙で支持をもらった立正佼成会の支援は民主党に行ってしまったのだが、もしもこちらに来ていれば電話かけの人数とかを含めて、そういう非電脳的要求がもっと強まったと想像される。で、そういうほうが間違いなく票が出ただろうから、選挙はまだ非電脳的なものが支配的なのである。そして今回の2万票もかなり非電脳的であろう。残念ながら…。

   立候補者を立てるというのは、「当選」運動である。攻撃は最大の防御、という点から言えば、これは現職候補の強力な落選運動に繋がるはずだ。しかし、立候補者が私のような若干の知名人の場合、焦点が落選運動に絞られにくくなってくる。つまり、良くも悪くも「その候補者問題」というのが生まれるのである。私が脳梗塞に倒れたことなども、盗聴法に何の関係もないが話題にならざるを得なかった。さらに公選法により候補者による相手の落選運動は禁止される。これはナンセンスながら事実である。結果論だが、私が無理して立候補せず、ちょっとばかりあるならその知名度を落選運動に利用するという方法もあっただろう。

   この場合、接戦に敗れた白川勝彦の応援にも駈け付けられたし、かつての地盤世田谷でも盗聴法反対の同志保坂展人君をもっと強くオープンに応援も出来たはずだ。私は世田谷にはある程度の票を持っている。

   落選運動について言えば、私たち以外にもインターネット的なものも含めてあることはあったが、いずれも韓国でそうだったような具体的な力は持たなかったようだ。日本でのあり方は、もっと考える必要がありそうだ。

   東京12区では、私の登場(または途中まではその噂)によって自民党はかえって「締まった」という面が出た。具体的に言おう。八代自身が前回の落下傘候補だということがあったからだ。16区で島村宜伸が「上」を狙う古くからの都会議員に敗れたように、12区でも「上」を狙う花川与惣太という古手(名前も超古手)の都会議員がいる。いわゆる地元のボスである。国会議員が大臣をやると、では一丁上がりになってほしいと野心を持つのがこういう輩の常である。6区の越智道雄はかなり前から、この手の都会議員の野心に悩んでいて、それが彼の選挙の弱さの一因だった。世田谷の場合、その古手都会議員は満を持しきれずに自民を離脱、越智の自民公認だけは維持されていた。12区においては、八代―花川の協力と確執については、おそらくおよその禅譲?路線の内定があるのではと見るプロ(事情通)が多い。そこに自民党経験もある栗本が「乗り込んできた」ら、民主党に勝たせるより怖いとの危機感が生まれたとしても不思議はない。自民党の区議、都議は私の内心を知らないから(そんな野心?はさらさらないのに)八代のためというより、自分たちの利害のために既得権にしがみつこうとしたわけだ。そして12区は、かの東京都知事選でさえ自民党票の比率が全都一に多かったが多かった保守的な土地柄だ。だから、逆に危機感も「締まり」も出た。地方議員たちは、元来は自民支持の立正佼成会が民主、佛所護念会が栗本支持という情勢に焦りを感ずにはいられない。自分たちの次の選挙 ─都議選は来年だ─ が怖いし、内々の八代ー花川の手打ちでもあれば、そのストーリーの崩壊が怖いのだ‥こんな馬鹿なことがいかに意味を持つかは、私の「自民党の研究」に詳しい。選挙は一種の戦争だから、こういう情勢を逆手に取ることもできる。相手陣営からの造反を誘うのだ。でも、そういう方針は私は取っていない、一切一般的には、私には可能だったが。

   こういう中での2万票は、大きい。一般のマスコミよりも現場の他党関係者のほうがこれを評価せざるを得ないという状況である。電脳突破党関係者でも、遠くから来てくれた人より北区関係者のほうが価値が分かっているようだ。もしも、選挙終了後、さらに街頭に立って「お礼」演説でも始めたら次は大変大きく増やせるであろう。でも、そういう体力、気力が今のところない。

船上からの支援のお願いの様子   結論として、私たちはまだ電脳的に集票は出来なかった。試験的に楽しい試みは幾つも成功させながら、具体的な選挙の結果の多くは旧来の選挙戦によるものだった。そしてそれが不十分である中での2万票なのである。だから大きな手ごたえだと言っているのだ。

 その中で、選挙公報や法定ハガキという点では、本来、電脳的にさまざまなことが出来た部分だったが「失敗」した。ハガキ書きは結局、ごくわずかの支持団体(非電脳)だけが力になってくれたし、それが票という意味では確かに大きかった。これらの点を線にする繋がりが、大きな課題として残ったのである。旧来の選挙戦的にも反省点は残る。しかし、それは最初から分かっていたことに近い。そしてそこをすべて是正しても、今回の場合は票を5万票にするのが精一杯だったと思う。そこに、自民陣営の切り崩しというような「高等」(低級?)戦術を加えたり、有名人の友人を動員して風を作ると具体的に勝てるというものだったろう。でも、そういう必要を私は認めなかった。普通はそうするのだろうが、そういう戦いではなかったと私は思うのだ。今回は選挙戦自身が目的の一つだった。盗聴法阻止を訴えることが、第一の目的だった。

 これがもし、当選という結果を何があっても必要とし、別の意味のどろをいくらかぶってもやれというなら(それが普通は選挙だ、それが戦いだ)やりようはあった。私はそのプロパガンダの技術や展開のレーニン的技術も少しは持っている。ブルジョワ大学と言われた慶大で、プロパガンダだの限りをつくして全学ストに持ち込み、またそこで坊やたちが死なないよう必死に収拾し、そのころの後輩佐高信や島信彦らの目を剥かせたのは私だった。一昨年、瞬間的には小渕政権の誕生を阻止しそうになったのも私だった。でも、もうその技術とカンは、使いたくない。そうまでして、国会議員の身分にしがみつく必要はない。もっと大切なことがあるのだ。ただ、私は、正直言って、電脳上の新たな試み及びやむをえない非電脳の行動においてに必死に頑張ってくれた突破党の皆さん、身分の喪失の危機を感ぜずにいられなかったろうが、表に出さず限定された旧来型の活動で必死に頑張ってくれた栗本事務所の諸君のために、あとちょっとばかりは仕掛け花火を仕込んで、相手を怖がらせてやれたのになと思っているだけである。勿論、この最後の部分は、遊び心またはサービス精神からの発言である。また、体を直したらやるんだなとか誤解をせんように‥。あの慶大の全学ストは、仕込んで始めただけで大きな衝撃を世に与えた。あそこあたりででやれるんならと、翌年の早大、ついで明大、さらに国立大と波が広がり、ついには米加州大、まだあったソルボンヌ大のストに広がったことになっている。それを最初に仕込んだのが私であり、それが私の60年代だった。君も良くやっていると尊敬するが分かるかね、当時の後輩佐高君。そしてもう2000年。国会議員になることが自己目的では、いかん。こんな技術は封印して202世紀も封印しよう。今回の戦いは、必ず21世紀のあたらしい政治と電脳空間の可能性に向かって花開く最初のつぼみだったということになるはずだ。加わってくれた諸君、どうも有り難う。本当に有難う。電脳突破党は時限政党だからなくなるのかもしれないが、今回の戦いを誇りにして、出来たら、またどこかで会おう勢。

Link:ページトップへ戻る

bldot.gif (43 バイト)

政治バックナンバー | 経済 | 国際 | 哲学・生命論 | コラム | 読者メール | ホーム

企画制作 栗本慎一郎事務所
kurimoto@homopants.com

Copyright©電脳キツネ目組クマネズミ工房1999